Aria

書きます

クイズにおける本質主義(あるいは)

本質面主義。

まずは何にせよ実作から話を始めたいと思います。

Q. ⽣物地理学において、共通する⽣物種が多いインド洋と太平洋を中⼼とした暖流域のことを何という?
A. インド太平洋
『Catalina』585

 さて、「インド太平洋」は英語のIndo-Pacificの訳語であり、最近では地政学用語として耳にすることも多いものの、Google Scholarなどで少々検索していただければわかるように一般的に使われる生物地理学(biogeography)の用語です。この問題の出典は日本生態学会編『生態学入門 第二版』(東京化学同人、2012)であり、説明としては奇を衒わず、また過剰に解答にある言葉を避ける意図もありません(「死の帳面みんはや」(加瀨 et al., 2019)などを参照のこと)。

それでまあ、クイズとしては全然面白くありません。

この問題は、もともと2018年8月19日に行われた2017年度入学東西インカレ交流戦での山上と井口の共同企画「クイズ!夏祭り」で出題されたものです。同企画で出題された特徴的な問題としては以下のものが挙げられるでしょう。

Q. 今年(2018年)3月に開催されたabc the16thの四択ペーパー第5番「バカリズム」の誤答選択肢にあった3つの言葉とは、「アホリズム」「ドジリズム」と何?
A. マヌケリズム

 要するにギャグです。要するにギャグなのですが、この一見してただつまらない「インド太平洋」の問題がギャグたりえるというのはどういうことでしょうか。明らかに、この問題はその有様によって何かをカリカチュアライズしていると考えられます。何をそうしているかといえば本質(面)主義に他なりません。

別に本質主義的なものが嫌いなわけでは全然なくむしろ好きです。ただどんなものでも馬鹿にしようと思えばできるものです。本質主義的な問題によくある特徴は、取り上げようとする解答の単語自体に付随する面白さが僅少であること、またそれゆえに問題文が当然じみたものになってしまうことです。例えば。

Q. LNGタンクを作る際に行われる、タンクの底で組み立てた蓋を空気圧によって浮上させ、溶接することで屋根を作る工法のことを何という?
A. エアレイジング
(2019年5月4日TQC例会の池内・井口企画「令和元年のフットボール」より)

Q. 2つの核保有国が互いに相手に壊滅的な損害を与えられる戦力を保持することで「恐怖の均衡」が生じるとする、核戦略構想の一種は何?
A. 相互確証破壊
TQC-Mutius交流戦2019より)

 エアレイジングは割と真面目に作った方の問題ですが、実際上そのまんまじゃんという感想は免れ得ません。惜しむらくはそれが専門外に普及していないことで、それに対して相互確証破壊は人々の口にのぼることが多いだけ評価がなされるということになります。

ともあれ、問題文が答えに対してあまりに直接に接続してしまうというのは避けられたい事態であって、果たして固有名詞は隆盛することとなります。そして固有名詞が選ばれるだけ非本質的な気分も高まり、かくて揺り戻しは起こるということになります。ひどく馬鹿馬鹿しい。とはいえ、そもそも問題文と答えの接続がかなり容易であるということは欠点であるばかりではありません。利点がまあ2つ考えられます。つまり、1)ぴんとくる、ということ、そして2)「理解」と「解答可能性」がシームレスに結合することです。

1つめはつまり当初の言い回し系統の出題で意図されていたと考えられるものであり、問題文を聞き、頭を回転させ、早くにぴんと来た人が偉い、といったような様態のものです。わたしが本質主義的な問題を好む所以でもあります(『Catalina』のコラム「速さと遅さ(指編)」「柔らか言葉をめぐる諸問題」も参照のこと)。2つめは、「この問題文xがさす解答Xはこの概念/言葉である」という理解の瞬間と、「解答Xの表現は言葉X'である」という解答の準備が完了する瞬間が一致するということです。固有名詞の場合、例えば前フリ「笑顔が素敵」を聞いて「(どうせ)この前海外メジャーで勝った女子ゴルフ選手だ」というところにいたり、「その人の名前は渋野日向子だ」というように解答が準備されるわけですが(あるいは「笑顔が素敵な人は渋野日向子だ」とあらかじめしておくことによってステップを縮めることができます)、いずれにせよ、解答にたどりつくのに問題文からの跳躍を必要とします。しかし解答が上記の特徴2に従う場合はそうではありません。

前者の特徴は「わかっている人が早く押せる」、後者の特徴は「わかっている人が正解できる」という本質主義が目指すものにリンクしており、それゆえ前半部で述べた特徴は払うべき苦い代償であると捉えることもできます。

そこで結局問題は、どうして「わかっている人が早く押せ」て、「わかっている人が正解できる」問題を出題する必要がある(出題したいと思う、出題することが面白いと思う)のか、ということに繋がりますが、それではまた長くなってしまうのでとりあえずここまで。

跋:例に挙げている問題はすべて自分のものですが、このことには無用なトラブルを避けるというのと、この文章がそもそも自己反省を伴ったものであるという2つの理由があります。人の問題を云々できるくらいの強い批評態度を身に付けたいものです。